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インディアス艦隊

索引 インディアス艦隊

インディアス艦隊 インディアス艦隊(インディアスかんたい、Flota de Indias)は、スペイン帝国が植民地と本土を結ぶために、1566年から1790年まで採用した輸送システムである。農産物、材木、工具などの工業製品、種々の金属、日用品、香辛料、砂糖、タバコ、絹や有名な金、銀、宝石、真珠などの財宝、珍重品などが大陸からスペイン本土へ運ばれた。その逆に移民は本土から大陸へ運ばれた。イギリスでは「スペイン財宝艦隊」(Spanish treasure fleet)と呼んだ。.

43 関係: 世界の一体化価格革命マニラマニラの戦い (1762年)マニラ・ガレオンハバナハバナの戦い (1762年)ハリケーンポルトベロポルトベロの海戦ポトシヌエバ・エスパーニャヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャトレジャーハンタービーゴ湾の海戦フリゲートフィリピンフェリペ2世 (スペイン王)ベラクルスアカプルコインディアス総合古文書館オスマン帝国カリブ海カルロス3世 (スペイン王)カルタヘナ (コロンビア)ガレオン船キュラソー島クリストファー・コロンブスシーレーンジャマイカジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)スペイン帝国スペイン・ハプスブルク朝スペイン・ブルボン朝スパニッシュ・メインセントクリストファー・ネイビスセビリアサン=ドマング私掠船西インド諸島海賊海洋考古学1492年

世界の一体化

世界の一体化(せかいのいったいか)では、世界の歴史において、交通や通信の発達などによって、諸地域間の分業システム(近代世界システム)が形成され、固定化され、また幾度か再編されたその全過程をあらわす。歴史事象としては、16世紀の大航海時代以降本格化し、現在もなお進行中である。 主として歴史学上および歴史教育における概念であり、とりわけ日本における世界史教育では平成11年以降学習指導要領のなかで基軸となる観点のひとつとして盛り込まれた。.

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価格革命

価格革命(かかくかくめい、price revolution)とは、大航海時代以降の世界の一体化にともなって、16世紀半ば以降、メキシコ、ペルー、ボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに銀)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであったヨーロッパ等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。なお、川北稔は、価格革命の要因を16世紀西欧における人口急増に求めている。 これにより、16世紀の西ヨーロッパは資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東ヨーロッパでは、西欧の拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。 また、それまでの銀の主産地だった南ドイツの銀山を独占していた大富豪フッガー家や北イタリアの大商業資本の没落をもたらした。 学問への影響としては、当時、スペインのサラマンカ大学を中心に活動していた16世紀サラマンカ学派の神学者アスピルクエタやセリョリゴは、新大陸からの金銀流入と物価上昇を結びつけて捉え、今日でいう「貨幣数量説」に到達したことから、近代的経済学の先駆をなしたといわれる。.

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マニラ

マニラ市(Maynilà 、Manila )は、フィリピン共和国の首都。メトロ・マニラとも呼ばれるマニラ首都圏に所属する都市。フィリピンのルソン島中西部にあり、マニラ湾東岸に位置している。 『東洋の真珠』などの美称があり、フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている。市域人口は166万人(2007年)であり、人口1,155万人を抱えるメトロ・マニラの中核都市である。さらに近郊を含む都市圏人口は2016年時点で2,293万人であり、世界有数の大都市圏を形成している。 アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界66位の都市と評価された。東南アジアでは、シンガポール、バンコク、クアラルンプール、ジャカルタに次ぐ5位である。.

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マニラの戦い (1762年)

マニラの戦い(マニラのたたかい、Battle of Manila)は七年戦争中の1762年9月24日から10月6日まで、グレートブリテン王国とスペイン王国のフィリピンの首都マニラおよびその周辺における戦闘。イギリスが勝利し、当時スペインの植民地だった同地を短期間占領した。.

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マニラ・ガレオン

マニラ・ガレオン(またはアカプルコ・ガレオン、ナオ・デ・チーナ)は、スペインの貿易船。1年ないし2年をかけて、太平洋を渡り、フィリピンのマニラとヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)のアカプルコを行き来した。名称はガレオン船と船の行き先による。1565年から19世紀初頭まで存在した。メキシコ独立戦争とナポレオン戦争によって終焉を迎える。クリストファー・コロンブスの死後60年近くが経過してから就航したが、マニラ・ガレオンは「インドの富をスペインに運ぶ」、「東に行くために西進する」というコロンブスの夢を現実のものとした。また、この貿易を「ガレオン貿易」もしくは「アカプルコ貿易」と呼称する。.

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ハバナ

ピトリオ(旧国会議事堂、現博物館)。 ハバナ(La Habana 、Havana )は、キューバの首都。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海地域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。キューバの公用語であるスペイン語での発音は「ラ・アバーナ」に近いが、日本語では英語音に近い「ハバナ」の名称が広く用いられている。 歴史的な名称はサン・クリストーバル・デ・ラ・アバーナ「サン・クリストバル・デ・ラ・アバナ」とも日本語表記しうる。(San Cristóbal de La Habana)。「クリストーバル」はクリストフォロスのスペイン語読みであり、ハバナの守護聖人である。.

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ハバナの戦い (1762年)

ハバナの戦い(ハバナのたたかい、Battle of Havana)は七年戦争中の1762年6月から8月にかけて、イギリス軍によるスペイン領ハバナの包囲と占領。ハバナは当時スペインのカリブ海における海軍の拠点であり、その占領はスペイン海軍に著しい損害を与えた。その後、1763年に戦争を終結させたパリ条約によりハバナはスペインに返還された。.

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ハリケーン

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ポルトベロ

ポルトベーロ(Portobelo)は、パナマのコロン県の港町である。パナマ地峡の北部に位置する。かつてはプエルト・ベージョ(Puerto Bello)という名だった。 パナマ運河の地図。ポルトベロは地図の上の端にある ポルトベーロの建設は1597年のことだった。18世紀まではスパニッシュ・メインのヌエバ・グラナダ副王領における銀の重要な積出港で、スペインインディアス艦隊の寄港地の一つだった。 ポルトベーロの町は、ヘンリー・モーガン船長の悪名高い略奪行為の犠牲になったこともあった。モーガンは1668年に私掠船の船団を率いて、450人でポルトベーロを攻略した。ポルトベーロは優れた要塞をもっていたにもかかわらず、モーガンは14日に渡り占領し、略奪行為に及び、金目のものはほとんど根こそぎ奪い去って行った。 1739年11月21日に、港町は再びイギリス艦隊の襲撃を受け、占領された(ポルトベロの戦い)。ジェンキンスの耳の戦争中のことで、この時はが率いていた。彼は3週間かけてポルトベーロの要塞など主だった建造物を爆破した。 ヴァーノンは1741年にカルタヘナ・デ・インディアスで撃退されたが、この戦いがスペイン貿易体制の脆弱性をはっきりと示したことから、その抜本的な変化が行われた。スペイン人は、少ない港に大型船を寄港させるやり方から、様々な港に小型船を寄港させる交易に切り替えたのである。さらに、西海岸での貿易を模索し、ホーン岬周辺を巡るようになった。こうした転換は、主要港であったポルトベーロの経済に深刻な影響を及ぼし、パナマ運河建設まで立ち直ることはなかった。 今日のポルトベーロは人口5000人にも満たない(2010年時点の人口は4559人 (.xls).

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ポルトベロの海戦

ポルトベロの海戦(ポルトベロのかいせん、Battle of Portobello)、またはポルト・ベロ海戦(ポルト・ベロのかいせん、Battle of Porto Bello)は1739年11月22日、グレートブリテン王国とスペイン帝国の間の海戦。ジェンキンスの耳の戦争の一部であったこの戦いでは、イギリス海軍がパナマのポルトベロの占領を企図して成功した。この戦いはイギリスで大いに宣伝された。.

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ポトシ

ポトシ("シ"にアクセント)は、ボリビアの南部にある都市。ポトシ県の行政府所在地。ボリビアの首都ラパスから南東に約 440 km に位置する。アンデス山脈中の盆地にあり、標高約 4,000 mと人が住む都市としては世界最高地点である。高山地域のうえ乾燥気候であるために植生には乏しい。.

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ヌエバ・エスパーニャ

ヌエバ・エスパーニャ副王領(ヌエバ・エスパーニャふくおうりょう、)は、1519年から1821年までの、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領を指す名称。スペイン語で「新スペイン」という意味。 江戸時代の日本では、「ノビスパン(濃毘数般)」、「新イスパニア(新意斯巴尼亜)」などと呼ばれた。.

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ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ

ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ(Nuestra Señora de Atocha)は、スペインの最も有名な沈没船。1622年、銅、銀、金、タバコ、宝石、宝飾品、インディゴを、スペインの港であったヌエバ・グラナダ副王領(現在のコロンビア、パナマ)のカルタヘナとポルトベロ及び、キューバのハバナからスペイン本国に輸送中にフロリダキーズ沖合で沈没した。 船体はマホガニー材で建造され、マドリードのアトーチャ教区にちなんで命名された。 本土艦隊の船とハバナに集結できるまでにベラクルスで不運な混乱があった。パナマ市へとラバで到着する宝は非常に莫大で、記録によれば1622年の夏に2ヶ月を要して積み込まれた。さらにハバナで一層遅れ、最終的には28隻の船団で1622年9月4日にスペインに向けて出発したが、これは予定より6週間遅れていた。  9月6日、強いハリケーンによって、キーウェストの西約35マイル(56キロ)離れたドライ・トートガスの近くのサンゴ礁で難破、船体は深刻な損害を受け、すぐに沈没。乗員・乗客265人中、3人の船員と2人の奴隷を除く全員が溺死した。このとき、1619年のでマゼラン海峡に代わるホーン岬航路を探検したバルトロメ・ガルシア・デ・ノダルが、死亡している。 生き残った船はハバナに戻り、難破を伝え、スペイン当局はアトーチャと近くで座礁したサンタ・マルガリータの引き揚げのために別の5隻を派遣した。アトーチャは水深約55フィート地点に沈んでおり、ダイバーが積み荷や武器を引き上げるのは困難であった。同年10月の2回目のハリケーンにより、残骸はより遠くへ散乱し、引き揚げはさらに困難にとなった。 スペイン人はインド人の奴隷の助けを借りて、数年間に及ぶサルベージ作業を実施し、マルガリータの船倉から登録された膨大な財宝のほぼ半分を引き揚げた。引き揚げの主要な方法としてガラス窓付きの大きな真鍮製の潜水鐘を用いた。奴隷が中に入り、財宝を入手し、甲板の水夫が引き揚げるのである。死亡率は高かったが、多少は効果的であった。死亡した奴隷はサルベージ船の船長によって事業費として計上された。 1622年の艦隊の損失は、借入金を増額するなど三十年戦争によって財政的に厳しい状況にあり、資金調達の為にガレオン船の売却を余儀なくされていたスペインに対して、直接的影響を与えた。マルガリータからのサルベージ作業は10年間かけて成功したが、アトーチャに関しては発見すらできなかった。.

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トレジャーハンター

トレジャーハンター (Treasure hunter) は、財宝を探索する人のこと。もしくは、財宝を探し出すことを職業とし、探検家や冒険家などとほぼ同質な人のこと。.

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ビーゴ湾の海戦

ビーゴ湾の海戦(La batalla de RandeまたはLa batalla de Vigo、Battle of Vigo bay)は、スペイン継承戦争中の海戦の一つ。イングランド・オランダ連合艦隊とスペイン・フランス連合艦隊の間で戦われ、英蘭連合艦隊の勝利に終わった。 新大陸の莫大な富を積んだスペインの商船及び護衛の軍艦がビーゴ湾に停泊していたが、イングランドはこれをスコットランド侵略を企図しているとして同盟国のネーデルラント連邦共和国と共に攻撃を加えることとした。スペインとフランスの連合艦隊は応戦したが軍艦の質やおそらく隻数でも劣っていたため、あえなく敗北した。また、湾口は封鎖されていたため逃亡することなく全滅することとなった。 イングランド・オランダ連合艦隊は新大陸の財宝を手に入れることに成功し、国庫を潤した。 Category:スペイン継承戦争の戦闘 Category:スペインの海戦 Category:フランスの海戦 Category:イギリスの海戦 Category:オランダの海戦 Category:18世紀のヨーロッパ Category:1702年の戦闘 Category:1702年のフランス Category:1702年のスペイン.

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フリゲート

帆走するフリゲート フリゲート(Frigate)は、軍艦の艦種の一つ。時代により様々な任務や大きさの軍艦に対して使用された名称である。フリゲイトとも表記される。 日本では、"Destroyer"は「駆逐艦」、"Cruiser"は「巡洋艦」、"Battleship"は「戦艦」などと日本語訳されたが、フリゲートに関してはそのままカタカナ語として用いられている。語尾に「艦」を付加して「フリゲート艦」と呼ばれることもあるが、「フリゲート」のみで一つの艦種を表すので、特に「艦」は付けなくてもよい。なお漢字文化圏では、「駆逐艦」「巡洋艦」については日本での訳語がおおむね踏襲されているが、「フリゲート」については「護衛艦」(, )あるいは「巡防艦」と訳されることが多い。.

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フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

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フェリペ2世 (スペイン王)

フェリペ2世(Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日)は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)。イングランド女王メアリー1世と結婚期間中、共同統治者としてイングランド王フィリップ1世(Philip I)の称号を有していた。また1580年からは、フィリペ1世(Filipe I)としてポルトガル国王も兼ねた。 スペイン帝国・スペイン黄金世紀の最盛期に君臨した偉大なる王で、絶対主義の代表的君主の一人とされている。その治世はスペイン帝国の絶頂期に当たり、ヨーロッパ、中南米、アジア(フィリピン)に及ぶ大帝国を支配し、地中海の覇権を巡って争ったオスマン帝国を退けて勢力圏を拡大した。さらにポルトガル国王も兼ね、イベリア半島を統一すると同時にポルトガルが有していた植民地も継承した。その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容された。 1925年発行の100ペセタ紙幣に肖像が使用されていた。.

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ベラクルス

ベラクルス (Veracruz) は、メキシコ湾に面するメキシコ合衆国ベラクルス州の基礎自治体である。.

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アカプルコ

アカプルコ(Acapulco) は、メキシコ合衆国の太平洋岸のゲレーロ州にあるリゾート都市。正式名称はアカプルコ・デ・フアレス(Acapulco de Juárez)。.

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インディアス総合古文書館

インディアス総合古文書館(Archivo General de Indias)は、セビリアの旧商品取引所(Casa Lonja de Mercaderes)に置かれている公文書館で、アメリカ大陸やフィリピンにおけるスペイン帝国の歴史を明らかにする上で、比類のない史料群が収められている。所蔵史料の価値もさることながら、この建物はフアン・デ・エレーラ(Juan de Herrera)がデザインしたもので、ルネサンス建築の中でも、落ち着いた佇まいを持つイタリア化したスペイン建築の例証として際立っているため、セビリア大聖堂、アルカサルとともに、1987年にユネスコの世界遺産に登録された。.

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オスマン帝国

マン帝国(オスマンていこく、)は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブールと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及んだ。.

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カリブ海

リブ海(青)とカリブ諸島(緑) カリブ(イギリス領バージン諸島)の海岸 カリブ海(カリブかい、英語:Caribbean Sea、スペイン語:Mar Caribe、フランス語:mer des Caraïbes)は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビアといった南アメリカ大陸やパナマに、西は北アメリカ大陸に属するコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。.

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カルロス3世 (スペイン王)

ルロス3世(Carlos III, 1716年1月20日 - 1788年12月14日)は、ナポリ・シチリア王(カルロ7世および5世、在位:1735年 - 1759年)、のちボルボン(ブルボン)朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)。スペインの啓蒙専制君主と言われる。.

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カルタヘナ (コロンビア)

ルタヘナ(Cartagena)は、コロンビアの都市である。ボリーバル県の県都。人口107万5千人(2006年)。 カリブ海に面した港町で、「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」が世界遺産に登録されている。国内きっての観光地である。.

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ガレオン船

デューラー画 ガレオン船(、 、 )とは、16世紀半ば〜18世紀ごろの帆船の一種である。単にガレオンまたはガリオンなどとも表記される。.

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キュラソー島

ュラソー島(キュラソーとう、 、パピアメント語: Kòrsou、クラサオとも)は、ベネズエラの北約60kmのカリブ海に位置するオランダ王国の構成国。面積は444km。人口142,180人(2010年)で、首都はウィレムスタット。キュラソーとはポルトガル語で「聖心」という意味である。.

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クリストファー・コロンブス

リストファー・コロンブス(Cristoforo Colomboクリストーフォロ・コロンボ、クリストポルス・コルンブス、クリストバル・コロン、クリストヴァン・コロンボ、クリスタファ・カランバス、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。.

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シーレーン

ーレーンとは、一国の通商上・戦略上、重要な価値を有し、有事に際して確保すべき海上交通路のことである。英語の類義語はSLOCs(Sea Lines of Communication)である。.

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ジャマイカ

ャマイカ(Jamaica )は、中央アメリカ、カリブ海の大アンティル諸島に位置する立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。島国であり、北にはキューバとケイマン諸島が、東にはジャマイカ海峡を隔ててイスパニョーラ島に位置するハイチとドミニカ共和国が存在する。首都はキングストン。 イギリス連邦加盟国のひとつ。アメリカ、カナダに続き、アメリカ州で三番目に英語の話者が多い国でもある。.

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ジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)

初代アンソン男爵、ジョージ・アンソン(George Anson, 1st Baron Anson, 1697年4月23日 - 1762年6月6日)は、イギリスの海軍軍人・政治家。最終階級は海軍元帥。.

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スペイン帝国

'''黄金の世紀'''におけるスペイン帝国(赤はスペイン王国、青はポルトガル王国)の領土、植民地、属領(1580年-1640年) スペイン帝国(スペインていこく、)は、スペインとその植民地・属領などの総称である。カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国がナスル朝グラナダ王国を滅ぼし、イベリア半島からイスラーム勢力を一掃した1492年以降、1898年の米西戦争に敗北して、ほぼ全ての海外植民地を失うまでの期間を指す。「帝国」の名称はその広大な統治領域に由来する(共和制のもとでのローマ帝国のごとし)。君主号(皇帝)とは無関係である。1868年から1874年は革命政権の支配の下で、国王は空位となり、やがて共和制に移行した。 とりわけ、16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de Oro)と呼ばれている。スペイン君主のカルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。.

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スペイン・ハプスブルク朝

'''黄金の世紀'''と呼ばれたスペイン・ハプスブルク朝のころにおけるスペイン帝国(赤はスペイン王国、青はポルトガル王国)の領土、植民地、属領(1580年 - 1640年) スペイン・ハプスブルク朝は、16世紀初めから17世紀末まで続いた、ハプスブルク家によるスペイン統治時代を指す。ハプスブルクのスペイン語名によりアブスブルゴ朝とも呼ばれる。 この時代、スペインはアメリカ大陸や太平洋(フィリピン、マリアナ諸島)に広大な植民地(ヌエバ・エスパーニャ)を有し、またヨーロッパにおいてもネーデルラント、フランシュ=コンテ、北イタリア(ミラノ公国)、南イタリア(ナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ)などを支配下に置いた。カルロス1世はまた神聖ローマ皇帝を兼ねた。1580年から1640年にかけてはポルトガル王も兼ねることで、イベリア半島全域を支配()するだけでなく、ポルトガルが南米やアフリカ、アジア沿岸に持っていた植民地をも併せ持つことになった。.

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スペイン・ブルボン朝

ペイン・ブルボン朝は、ブルボン家によるスペイン統治を指す。ブルボン家のスペイン語名に基づいてボルボン朝とも呼ぶ。1700年のフェリペ5世の即位に始まり、3度の中断を挟んで、今日のフェリペ6世に至っている。.

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スパニッシュ・メイン

パニッシュ・メイン(Spanish Main)は、大航海時代におけるカリブ海周辺大陸沿岸のスペイン帝国地域をイギリスが呼んだ名称。範囲はフロリダ半島からメキシコ、中米に南米北岸まで。 16世紀から18世紀にかけて、スパニッシュ・メインから、金銀、宝石、香辛料、木材、毛皮、その他の莫大な財宝が運び出された。有名なインディアス艦隊が財宝をスペインに運んだ。スパニッシュ・メインには、それをねらう海賊と私掠船が出没した。.

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セントクリストファー・ネイビス

ントクリストファー・ネイビス連邦(セントクリストファー・ネイビスれんぽう)、またはセントキッツ・ネイビス連邦は、西インド諸島の小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置するセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2つの島からなる英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、海を隔てて北西にイギリス領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西にイギリス領モントセラトが存在する。首都はバセテール。 イギリス連邦加盟国。ミニ国家の一つである。面積と人口は共に南北中アメリカにおいて一番小さく、独立年も一番新しい。.

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セビリア

ビリア(Sevilla, )は、スペイン・アンダルシア州セビリア県のムニシピオ(基礎自治体)。アンダルシア州の州都であり、セビリア県の県都である。自治体人口は約70万人(スペイン第4位)であり、セビリア都市圏の人口は約130万人である。スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、観光都市である。.

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サン=ドマング

イスパニョーラ島西部のフランス植民地(サン=ドマング)の地図 サン=ドマング(Saint-Domingue)は、1659年から1804年までの間、カリブ海のイスパニョーラ島の西三分の一を占めていたフランスの植民地である。砂糖とコーヒー貿易でフランス植民地の中でも最も利益を上げていた。今日のハイチ共和国にあたる。.

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私掠船

私掠船(しりゃくせん、Privateer, )とは、戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船をいう。.

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西インド諸島

西インド諸島(にしインドしょとう、West Indies、Indias Occidentales、Antilles (Indes occidentales)、West-Indië)は、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である。アメリカ合衆国のフロリダ半島南端、および、メキシコのユカタン半島東端から、ベネズエラの北西部沿岸にかけて、少なくとも7000の島、小島、岩礁、珊瑚礁がカーブを描くようにして連なる。これらの島々が、大西洋と、メキシコ湾、カリブ海の境界線を形成している。.

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海賊

海賊旗(ジョリー・ロジャー) ジョン・ラカムの海賊旗 海賊(かいぞく、)とは、船舶や沿岸を襲撃することによって、金品を強奪する盗賊を指す。.

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海洋考古学

海洋考古学(かいようこうこがく、英語:marine archaeology)は、考古学の一分野であり、人類の海洋環境の利用や、海上活動の歴史を、遺跡や遺物を研究して解明する学問である。.

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1492年

記載なし。

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スペイン財宝艦隊

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